柔道って何で「柔」なんですか?
技に柔軟性がある、という意味ですか?
柔軟性なら空手や他の格闘技、武道でも同様だと思いません?
体が柔らかいのも全ての武道や格闘が柔らかいだろうし。
「剛を制す」の剛って何のことを指すんでしょう?
柔と剛というのは、本来一体のものです。剛により柔ができ、柔によって剛ができるんです。
例えばバットで誰かに殴られた時に、避ける動作が柔です。柔が足りなければ破壊されます。柔が勝ればバット(剛)の軌道を変えて奪ったり、相手に返したりできます。
また柔の動作で相手が硬直すれば投げ飛ばしたりできます。大外刈りで言えば、相手を引きつけて自分に近い足に重心を載せますね。そこで棒のように硬直した瞬間にその足を払うじゃないですか。相手が柔のまま(重心が乗らずに体制を変えられる状態)だと失敗するじゃないですか。柔道というのは、この動作(柔)により相手の剛(静止)を誘う術なんです。
これはまたおっしゃる通り、全ての格闘技に共通することで、どんな格闘技も柔と剛のせめぎ合いなんです。サブミッションは必ず相手の関節を固めないと駄目じゃないですか。こちらが動いて(柔)、剛に導くんです。でもその相手を固め切れずに動ける余裕(柔が残った状態)だと外されるじゃないですか。
さて、柔の利点ばかり書きましたが、空手の突きや蹴りは剛ですね。でもあの剛というのは柔(動作)によって剛(固体)を生み出しているんです。その剛(固体)で相手を破壊する術です。拳が柔らかければ破壊できませんよね。そこは剛でなければならないんです。で、それを避けたりするのは柔です。剛で受けることもありますね。つまり柔によって生み出した剛で対決するんですね。よって、柔と剛というのは連続し、どちらも攻防の手段なんです。その柔と剛の組み合わせを使って攻撃し、防御する。また柔と剛の状態を見極め、隙間を突くというのが達人の技なんです。
ということで、柔というのは動作、動きのことで、剛というのは静止、硬直、固さのことだと思って下さい。
だからよく決闘なんかでお互い動けない状態があるじゃないですか。あれは剛の状態から柔に移れないんですね。下手に動けばその隙を突かれるためです。
これは東洋的な思考法で、この思想が人間、宇宙にまで及んでいるんです。例えば囲碁もそうです。相手の動きによってこちらの動きが決まる。手が示され(柔)静止。でもその静止状態でも思考というエネルギーが渦巻いている。そして手が決まると思考のエネルギーは無くなる。こういう動静が目まぐるしく入れ替わる状態を陰陽で表わし、宇宙を知る体系なんですね。西洋的にはまた違った思考法になるんです。
北斗の拳 ラオウVSトキがわかりやすい例えです。 ラオウが剛拳技、トキが柔拳技タイプです。略して言うと、力ごり押しタイプと、相手の力を捌いて利用するタイプです。 柔よく剛を制すとは、相手の力がどんなに強くても、その力を利用して攻撃できるタイプのほうが、強いと言うことです。 柔道の柔については、他にもいろいろと意味がありそうなので、よくわかりません…。
『柔能く剛を制す』の出典は中国の兵法書『三略』です。『しなやかなものが固い矛先をそらし勝つ』から転じ『柔弱な者がかえって剛強な者に勝つ』という意味です。
ただしこの言葉は本来反対の『剛能く柔を断つ』という言葉と一対になるものです。
嘉納治五郎先生は著作の中で『柔道という名称は、攻防の方法の、ただある場合を名状した呼称である』と述べられています。
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